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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

式年大神幸祭HEADLINE

 銚子市への御神幸は、雷神社のほか東大社(東庄町宮本)・豐玉姫神社(香取市・旧小見川町貝塚)の三社により斎行される。この三社ともに第12代景行天皇により創建された縁の深い社である。御神幸祭は堀河天皇の康和4年(西暦1102年)から始まった。この年、高見の浦(銚子市高神を中心とする一帯)に大津波が起こり、雷鳴轟き、風雨強く、地震も長く続き、船は流され、多くの人命や家財が失われ、なお荒れ止まなかったといわれている。この東国の天変地異は、遠い京の都にも伝えられた。天皇はこの災害を鎮めるため勅命を下し、銚子への御神幸祭が初めて斎行された。これにより、海は静まり天は晴れ渡り、豊漁・豊作が続いたと伝えられている。以来、御神幸は第9回まで毎年行われ、第10回の大冶5年(1130年)からは20年毎の式年御神幸祭として斎行されるようになり、今日に至っている。900年の歴史の中では、大飢饉・戦乱などの様々な困難があったが、延べ54回の御神幸祭で20年周期がずれたのは僅か2回である。しかも、その2回とも次回斎行の折は年数を縮めて、本来の20年周期に戻している。実に驚くべきことであり、祖先の御神幸祭や敬神崇祖の念の篤さを偲ぶことができる。
 御神幸祭に渡御する雷大神の神輿は、この式年御神幸祭にのみ奉じられる(かつては雨乞いにも多く渡御した)関東一の大神輿である。第51回(昭和25年)の御神幸までは、氏子や沿道の関係者により担がれて渡御した(25年は還御のみ車を使用)。昭和45年から、交通事情等もあり、車両搭載による渡御となった。御神幸祭中、神輿が担がれるのは、渡海神社・銚港神社への入場と、外川港と、銚港神社から白幡神社までの間である。
 御神幸祭の折に、雷神社の氏子である倉橋地区の「弥勒三番叟」が神輿の露払いとして舞われるが、一列になって進みながら舞う形態は全国的にも希少で、千葉県無形民俗文化財に指定されている(御神幸関係でしか舞われない)。東大社・豐玉姫神社がいずれも「香取地方の神」であるのに対し、雷神社は御神幸先の銚子を含む「うなかみ」地方(香取の一部も海上郡に含まれた時代があった)の神であるから、倉橋の三番叟を氏子に持つ当社が加わっているのは他の二社とは別の意味合いがあるようである。尚、三番叟以外にも芸能披露が行われるが、これは、東大社の氏子区民によるもので、時代的にも新しく、三番叟とは別の位置づけにあり、同列では考えられない。
 式年御神幸祭の三社は、共に「郷社・総社」で、創建も「第十二代景行天皇」によるものである。全国的には式年御神幸祭は珍しくないが複数の神社によるものは稀で、民俗学的にも重要な意味合いが秘められているものと思われる。

gojinkousainenndaihyou.pdf へのリンク



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