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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

後草村のはじめHEADLINE

 後草の村は、鎌倉時代に飯岡の佐貫城の残党七軒の人が移ってきたのが始まりであると伝えられています。(佐貫城が落城しない前に来たという説もあります)  佐貫城から来たので、十月十日の芋念仏は城主片岡常春の供養だと謂われています。芋念仏には、八木村より老人達がかならず来て参加することになっているのも、昔は同じ主人であった為だといわれ、また八木村で行われる麦念仏には、後草より参加するということになっているという。 また、後草の水神社は、応永年中に現在の処に祀られたが、それ以前は、今の処より北方の畑の中に古水神という地名の処に祀ってあったと伝えられ、お祭りもそこで行われた。舞台という地名もあり、神楽もそこで行われたという。水神社にはこういう話も伝わっています。 昔、源平の戦いに時、壇ノ浦にて案徳天皇が入水された時、佐貫城主片岡常春は源氏方にて出陣していましたが、敵の船にいるとはいいながら、天皇を死なしてはおそれ多いことと思い、救い出さんとしましたが、天皇を救い出すことは出来ませんでした。この時天皇が三種の神器をもって入水されたが、その内二つを救い出すことが出来たということです。 その後、戦いが終わって佐貫城に帰ってから、或る夜のこと夢に天皇が現われたので、もったいないことと思い、神社に祀って鎮魂せんとしたが、天皇は入水されて亡くなられたので、水に縁があるので、水神として祀り、後にこの神を後草の人々が移したということです。