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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

貞吉の力石雷神社HEADLINE

 見廣村には雷神様という神社があって、このあたりの十三郷の総鎮守として信仰されていた。 境内には『相撲場(すもうば)』があって、毎年秋の九月十五日の祭には、奉納相撲が行われた。近郷近在の力自慢の若い衆が集まり、境内には出店も十五、六軒は出て、それはまあ、大層賑わったものだ。それに、何年に一度かで勧進相撲も開かれていた。  力があることは、百姓にとってはそれこそ自慢の種だけでなく、仕事がはかどり暮らしに困らないということになるから、娘たちに良い顔が出来る。  神社の大鳥居の周りには、力石(ちからいし)が七つ転がっている。それぞれに目方が彫ってあって、一番軽いもので二十貫目(約七十五キロ)、一番重い石は五十五貫目(二百キロ余り)も目方がかかった。米俵一俵は十六貫目(六十キロ)で、これを担げて一人前の男として扱われる。それこそ力比べとなれば、二十貫目は持ち上げなければならないが、丸い取っ掛かりの無い石だから、本当に力がないと上がらない。  近郷近在の神社や寺には、みんな力石が置いてあるが、三十貫目から四十貫目くらいのが一つ二つあるのがせいぜいだ。だから、七つもある雷神様には、近郷から力試しに来る若いもんが絶えなかった。 氏子の若い衆も、神社に集まる毎に力石を持ち上げて力比べをしていた。それでも、一番重い五十五貫目を持ち上げる者はいない。勧進相撲の関取でも、せいぜい地面から少し持ち上げただけで、手が滑って落としてしまう。まあ、上から三番目の三十八貫目の力石を、腰まで上げられる若いもんが村一番の力持ちの評判をとっていた。 長尾村の吉野屋の跡取りの貞吉は、小作ではない。本百姓だが、僅かな田んぼと畑を耕し、母親と四人の弟妹を養っていた。長尾村とは言っても、ごく狭い村で、貞吉以外の家は無く、もっぱら見広村の付き合いをしている。田畑も、見廣と大間手、高生村に少しづつあるばかりであった。 貞吉も十八になり、そろそろ嫁が欲しい。そのために開墾畑も作って、いくらか暮らし向きも良くしてきた。かといって、それ程裕福でもなく、いい男と言う訳でもないから、なかなか良い嫁の話が来ない。自分で娘に言い寄るにも、そんな勇気も湧かないで、ひとりため息をつくばかりであった。 今年も九月の祭りの日が来て、近郷の老若男女が雷神様にお参りに集まり、奉納相撲も組まれた。貞吉は相撲はとらなかったが、せめて少しでも重い力石を持ち上げて、娘らの気を引こうと、意気込んで神社に参った。 実は貞吉には、隣村に気に入った娘がいた。十六になったばかりで、器量はまあまあ。田んぼ仕事がはかどるというほどの立派な体ではないが、よく働き、控えめで優しい娘で、「いと」という。小さい頃からよく見知っていた。 祭にはいとも来る。貞吉は、重い力石を持ち上げて、いとに良いところを見せたいと思っていた。神社でいとに会うと貞吉は、 「俺ぁ関取でねえがら、でっけい石は上がんねえが、五番目の三十四貫目を上げだら、俺の嫁になってくれ。」  小声で言ったつもりが、つい力んで声が大きくなって、他の若いもんの耳に入ってしまったから、さあ大変だ。大勢が鳥居の前に集まって貞吉を囃し立てた。  貞吉には自信があった。ここ一月、ヨウメシ(夕飯)を食ってから、こっそり雷神様に来て、力石を持ち上げる鍛錬をしていたからだ。まずは、一番軽い二十貫目。これは易々と肩に担いだ。若いもんは手を叩いて応援するものもあれば、「あんだぁ、軽いやづだっぺい」とはやす者もいる。  次は六番目の三十二貫目だ。軽いといっても米俵二俵。貞吉は前にも増して手唾をして、どうにかこれも腰まで持ち上げた。そしていよいよ、五番目の三十四貫目だ。 これは二貫増えただけだし、石に取っ掛かりがあるから、どうにかなる。 「これで、いとを嫁にもらえるな」 貞吉は、これを鍛錬で何度も上げている。「よし」と意気込んで力石に手を掛け、腰を落としてグッと踏ん張った。 ところが力石はビクとも動かない。顔を真っ赤にして青筋たてて力むが、根が張ったように重い。 「もういっぺんだ」 貞吉が手に唾を吐きかけて、力石にとっかかるが、やっぱり力石はビクともしない。それから何度挑んでも、上がらない。 「あんだぁ、こうやったぁよ」 と、ひとりの若いもんが出てきて、真っ赤な顔になりながらも、腰まで石を上げてしまった。貞吉はバツが悪くなり、家に逃げ帰ってしまった。  夜も更けて、祭りも引けた。貞吉は業腹でならない。このまんまではいられないと思い込んで、そっと神社に行った。そして、 「この石のせいだ、この石のせいだ」 と言いながら、鋤で穴を掘り、天秤棒で転がして、上げられなかった力石を埋めてしまった。  翌朝、祭りの後片付けに来た若いもんが、七個あった力石が、一つ足りないことに気づいて、境内や裏山の崖下まで探したが見つからない。産土様の力石が無くなったとなれば、神罰が当たる。村の世話役まで集まって探したが、とうとう力石は出てこなかった。そのため、雷神様の力石は今でも六つのままになっている。  貞吉もいつの間にか長尾村から消えて、誰言うと無く、「貞吉が悔し紛れに持って逃げた」ということになった。  そんなことがあってから年月が流れ、貞吉の弟妹も婿や嫁に行き、親も死に、貞吉の生家は朽ちて無くなってしまった。長尾村には家が一軒も無くなり、村も絶えてしまった。ただ、「長尾」という地名と、いつになって祀られたか解らない田の神様の石祠が残っているだけである。         《注》この力石は、旭市指定有形民俗文化財