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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

六部塚HEADLINE

 淨心法師は、越後の国の人でありました。六部として諸国行脚をして歩き、巡りめぐって岩井村に来た時には病気にかかってしまいました。叩鉢をして惣左ヱ門という家に来た時は、ほんとうにもう疲れきってしまいました。親切な惣左ヱ門の人達は、この身体で歩くのは無理だから、俺の家に癒るまで休んでいた方がよいと泊めてやりました。  そして幾日から介抱してやりましたが、なかなか良くなりませんでした。義理かたい淨心さんは、縁もゆかりもない他人の家でこんなにも親切にお世話になってすまないと、幾度もお礼を申しましたが、けっして心配せんですっかり全快するまで休んでいた方が良いと介抱してくれました。しかし病はだんだん重くなるばかりでありました。  ある日のこと、淨心さんは心をきめて、ながらくお世話様になったが出かけることにしますからと言ったら、惣左ヱ門の人達は驚いて止めましたが、臨終の近いことを知った淨心さんは、諸国を巡って歩く者の礼儀として、他人の家を死んで穢してはならない、これ以上迷惑をかけてすまないと思い、行倒れになっても、六部として自分はそれでよいのだと心にきめて、いとまごいをして、猿田道の方に出かけて行きました。 しばらくして、惣左ヱ門さんはあの身体で何処まで行くことができようかと、心配になり跡を追って行ったら、はたして四、五丁先の萩山まで行った処で、道の端にうずくまって死んでいました。 惣左ヱ門さんは道の端に埋めてやり、また笈の中に銭も入っていたので、大きな墓石も建ててやり、毎年お盆や彼岸には供養してやっていました。その後も、子孫代々供養しているそうです。淨心さんの死んだのは、今から二百年余り前のことだということです。