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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

おさき狐HEADLINE

 むかし、むかしのことでした。蛇園村の村はずれに、そこは山のすぐそばで、そこから山続きになる処に一軒の家がありました。その家は何処からか遠くの方から来た者で、山番などをしていました。この家には、おさき狐を持っているという噂がありました。おさき狐は小さい狐で、網戸の戸棚の中などに棲み、朝晩の食事をやる時は、飯櫃の掾を飯匙で叩くのが合図だといわれていました。  このおさき狐を持っている家の者が、他人の田畑の良い作物を羨ましく思ったり、他人の着物をほしいと思ったり、金儲けをしたと云う話を聞いて羨ましく思うと、狐は主人の心を察して田畑を荒らしたり、衣服や金を持って来ると云われました。または狐を使って盗ませたとも云われ、村人達からは恐れられたり嫌われたりしました。このおさき狐は、昔三国を荒し廻った九尾の狐が殺されて石と化して、それがまたおさき狐に生まれかわったといわれていました。  昔昔、そのまた昔のこと、支那に或る一つの国がありました。王様は毎日酒色にふけって、国のことは少しも考えませんでした。その頃、歳をへて神通力を得た九尾の狐は、姐妃という美しい女に化けて、王様のめかけになりました。  そして、王様と共に乱行悪行をしていましたから、隣の国から攻められて滅ぼされてしまひました。姐妃に化けていた狐はもとの九尾の狐になり天竺の国に逃げました。そして太子の夫人となって、また太子をそそのかして悪行をしました。 太子の家来に大変忠義な者がいて、太子が寝入ると夫人が毎夜外に出かけるのを不審に思って、或夜こっそりとあとをつけてみると、くるりと宙返りをしたかと思うと、本性の九尾の狐となって、人の子を取って食うのでありました。家来は太子にこのことを話しましたが、太子ははじめ信じませんでした。しかし、本性を見られた狐は身の危険を感じて、今度は日本の国に逃げてきました。  また美しい女に化けていたら、時の天皇に見出され、玉藻の前と名のって仕えることになりました。それから間もなく天皇は重い熱病になりました。どうして病になったか判らず、役人たちは陰陽師を招いて、祈祷して貰うことになりました。 祈祷を始めたら鏡に十二単衣を着た九尾の狐が映ったので幣束を投げつけると、幣束は空を飛んで行き、玉藻の前の姿も宮中より消えました。幣束は遠く下野国の那須野の原に落ちましたが、狐は姿を見せなかった。 その後、下野国に人が殺されたり、田畑が荒らされたり人々を苦しめました。那須の領主は宮廷に妖狐の退治を願いました。上総介という人に命令が下り、巻狩りをして、とうとう矢で射とめることができ、近づいてみたら九尾の狐は石になっていました。石になってもなお毒気を吐いて人々を害したので、殺生石と名づけられました。 その後ある坊さんがお経を唱えて如意で石を叩き割ったらたら細かく四方に飛び散った。飛び散った小石が小さな狐になって関八州にひろがり、これがおさき狐だという。おさき狐を持っている家筋の者とは、一般は縁組を嫌い、この筋の者同志だけで縁組をするならわしでありました。 蛇園山にいた狐持ちの家も、子供達が大きくなって年頃に、どこか遠くの方に移って行ってしまったということです。