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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

子授け天王宮HEADLINE

 名主の久左衛門は、よく肥えた広い田畑を持ち、大きな家に住み、何不自由なく暮らしていた。ただ、去年の流行り病で母と妻にも子にも先立たれてしまった。昼間の内は奉公人や小作人に囲まれているからそうでもないが、夜になると広いばかりの家の中で、寂しい思いをしていた。田舎のこと、何をするでもなく、ただ溜息ばかりがついて出る。  まだ若いのだから、後添えをもらったらいいと親戚筋からすすめられるが、帯に短し襷に長し、なかなかこれといった女にはいきあたらない。そうこうしているうちに、一年がたち二年がたち、寂しさは益々募るばかりであった。  そんなある日、上総の国の玉前神社が縁結びにご利益があるといわれ、奉公人一人を連れて参詣したが、帰り道、九十九里浜に入ったあたりから気分が悪くなり、駒形屋という旅籠で休むことになった。  二階に布団を延べてもらい横のなる頃には、体は震え汗で布団が湿っぽくなるほどになった。医者が呼ばれ苦い薬も飲んだがなかなか治まらず、とうとう七日も逗留するはめになった。医者の見立てでは、流行の疫病であったそうだ。近くで何人もの死人が出たそうで、久左衛門は命拾いをしたと安堵した。  久左衛門が臥せっている間、旅籠の娘ときはよく看病をしてくれた。色白で愛想がいい優しい娘であった。一回りも若いが、すっかり気に入ってしまい、無事家に帰ってから、使徒をたて嫁にもらった。  これもひとえに玉前神社のご利益と、奉公人にお礼参りに行かせ、一斗樽二本を奉納した。またこれから先、流行り病で命を落とさぬようにと、尾張の国の津島神宮から御分霊を賜り、産土の雷神様の隅に石祠を建ててお祀りすることにした。  津島神宮は疫病平癒であらたかな神様である。産土様にも夏の祇園祭の神様として祀られているが、病気平癒の天王祭にちなんで「天王宮」という名前にした。  ところが、石屋から納められた石祠を見て、久左衛門は大いに驚いた。表にはしっかりと天王宮と刻んである。ところが、脇に八寸五分もある立派な男根が陽刻されている。しかも左右に一竿づつ。  出来てしまったものは仕方がない。久左衛門とときはそれから月に二度は欠かさずお参りをした。天王宮は疫病や下の病にご利益のある神様だが、石祠の立派な男根のお陰か、ときとの間に七人の子宝に恵まれた。そればかりではない。久左衛門は終生、年下のときを寂しがらせず睦んだとのことだ。  いつの頃からか、この天王宮は疫病ばかりでなく、男は精力、女には子授けの神として拝まれるようになった。