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御祈願は雷神社へ

〒289-2616 千葉県旭市見広1371番地

雨降り神様HEADLINE

 田植えも終わって七月になり、いつもの年なら田の草取りも始まり、忙しい時期なんだが、誰もが浮かぬ顔をして、雲一つ無い青空を見上げておった。もうとっくに梅雨に入り、田圃は水でいっぱいな筈だが、あちこちに泥が見えてひび割れの所さえあったのだから。  ここ江ヶ崎村は、総堀や山根岐のヤンボリマのお陰で他よりもましだが、日照りで稲が枯れそうだ。清滝村や岩井村には溜池があるが、江ヶ崎村に回る分などあろう筈がない。水争いも起こっているそうだ。もう一月もまともに雨が降らないから、このままいけば餓死者も出る大飢饉になるに違いない。  村の寄合いでは、「雷神様を担ぐしかねえがなぁ」と云う者もあったが、なかなかふんぎれないでいた。『雷神様はおっかねぇ』。雷神様の大神輿は、昔から担ぎ出せば必ず雨が降ると謂われているから、疑う者はないが、関東一の大神輿といわれるほど重いものだ。村の若衆総出でもそう易くは担げるものではねえし、神輿が出るたびに、潰されて死人や怪我人が必ず出ると、年寄りや親から聞かされて育ってきた。そんな恐い神輿だから、滅多に担ぎ出されない。若衆の半分以上はこの大神輿を担いだことは無い。普段の祇園祭は別の神輿があるし。そんな神輿を命懸けで担ごうと決心がつかないのも尤もなことだ。それでも「飢え死ぬよりはましだっぺぇ」と、明日の夜中に村境に集まって、雷神様をお迎えに行くことになりました。  さて、翌日の夜中、村役人や若衆は体を清めて村境に集まり、雷神様に向かいました。空は相変わらず雲の陰も無い明るい月夜であった。雷神様はしんと沈みかえり昼でも暗い森だから、松明を燈して拝殿の戸を開けた。昔から雷神様の神輿は「盗み出す」慣わしだから、一本が二十貫を超える縦棒を差込み、よいしょ、よいしょと外に出し、横棒を縛り上げ、総掛りで担いで、江ヶ崎村まで辿り着いた頃には、空も白みだしていた。  陽が出てから、村役人が揃って見廣村に挨拶に行き、神輿の頭に載せる擬宝珠や蕨、化粧綱一式を借受け、見廣村の役人を伴って村に帰り、神輿が整うと村廻りの渡御が始まった。  休みながら半日、「よいやあさ、よいやあさ」と担いだが、もうこれ以上は担げねえ、まだ力があるうちに返そうとなった。見廣の大坂をやっとのこらさで登り、神社に辿り着いたのは、もう申の刻をまわっていた。一同は、死人を出さずに還御できたことに安堵した。  疲れきって、とぼとぼ長い列にになって村に向かったが、いつの間にやら陽が隠れ、雷が鳴り出してから気づいて空を見上げた。「雷神様のご利益だ」。雨は急に降り出し、村に着く頃には、隣にいる者の顔さえ霞むほどの大降りになった。  雷神様の大神輿は、日照りの度に担ぎ出されたが、雨の降らぬことは無かったという。二十年毎の外川御幸でさえ、還御の夜は必ず大雨が降ったということだ。